イヌという生き物を研究する

イヌの社会性を研究する永澤美保博士へのインタビュー

永澤さんは、イヌの社会性について研究されている、日本で数少ない研究者です。実は、永澤さんと私(辻村)は同じ大学の研究室に所属し、同じ犬チームで過ごし、私が大学を終えて留学するまでの半年間、お金がなくて彼女の部屋に居候させてもらってたほどの付き合いです(苦笑)。昨年2014年の7月頃、永澤さんからメスの中・大型犬を対象とした実験に協力してもらいたい、という依頼を受け、シリウスの参加犬数頭に協力してもらい、イヌとヒトとの関わりについての実験をお手伝いしました。そのときに、せっかくなので、ということで彼女の研究や世界の最先端のイヌ研究についてお聞きしましたので、インタビュー記事として掲載します。

(追記:2015.4.17)
永澤さん達の研究が、科学雑誌「Science」に掲載されました。おめでとうございます。ご興味のある方はこちらもご覧下さい。
Oxitocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds(ヒトとイヌの絆形成に視線とオキシトシンが関与)”

永澤美保 Ph.D2H9A6598

早稲田大学第一文学部卒業。会社勤務時代に、アニマル・セラピーに興味を持ち、イヌを研究する道に進む。2008年麻布大学大学院獣医学研究科動物応用科学専攻博士課程修了。麻布大学獣医学部動物応用科学科 特任助教を経て、2013年より自治医科大学 医学部 生理学講座 神経脳生理学部門にポスト・ドクターとして所属。「人とイヌの視覚コミュニケーションが、人のオキシトシンを増加させる」といった論文を発表。「犬のココロをよむー伴侶動物からわかること」(岩波書店)共著。 

(辻村)まず初めに、今回、どのような実験をされたのか、簡単に説明してもらえますか?

(永澤)今回のお手伝いしてもらった実験は、オキシトシンいうホルモンを使ってイヌとヒトの絆形成のメカニズムを解明することが目的でした。オキシトシンは社会的認知能力を制御して、絆の形成に関わっていると考えられているホルモンですね。

オキシトシンは最近よく耳にします。「幸せホルモン」と呼ばれたりしていますよね。

あ、そこなんですけどね、ちょっと誤解があるようで。オキシトシンをスプレーしたら社交的になる、みたいな言われ方してますけど、正確にはちょっと違うんですよ。オキシトシンは「内と外」をきっちり区別するというか。仲間との絆は深く、でも外部には警戒的になるという作用もあるんです。

なるほど。誰に対しても、というわけではないんですね。では、オキシトシンはイヌとヒトとのコミュニケーションにどのように関係しているのでしょうか?

イヌはヒトのコミュニケーションを理解することがすぐれているといわれてます。例えば、ヒトが指さししてボールをイヌに取ってこさせるという遊びはイヌの飼い主だったらみんな普通にやってますよね。でも、ヒトの指さしで餌を探させる課題では、オオカミやチンパンジーはイヌよりも成績が悪いんです。あと、イヌは困ったり何か欲しい時にヒトに助けを求めるような視線を向けますよね?でも、オオカミはそういう行動は一切しないんだそうです。

一般的にヒト以外の動物の間では相手を直視することは威嚇のサインっていわれますよね?

そうなんです。でも、親しい関係のイヌとヒトの間では、逆に見つめることは親和のサインになるんです。今回の実験では、イヌ特有であるといわれているヒトへの親和的な注視行動がオキシトシンを投与することによって増加するかどうかを調べました。オキシトシンをイヌの鼻にスプレーで投与した結果、飼い主への注視行動が増えることがわかりました。さらに、オキシトシン投与によって注視が増えたイヌの飼い主は、飼い主自身が投与されたわけではないのにオキシトシンの分泌が促進されることもわかりました。こんなふうに、みつめることによって相手のオキシトシンが増えるという関係は、ヒトの母子間にもみられるもので、絆が形成されていると考えられます。P1060710

 

 

 

 

 

なるほど、イヌもヒトに見つめられてオキシトシン分泌が増えるんですか?

私たちの実験では、ヒトは常にイヌを見つめていますので、ヒトがみつめることでイヌのオキシトシン分泌が増えたかどうかはわからないんですが、イヌがよく見つめるペアは飼い主もイヌもオキシトシン分泌が増えています。ヒトの母子関係から推測すると、イヌが見つめて、ヒトのオキシトシン分泌が増えて、それによってヒトからイヌへの親和的なリアクションが増えて、回りまわってイヌのオキシトシンも増えたんじゃないかと考えてます。

へ~~、普段何気なくイヌと見つめ合っていますが、それでオキシトシン分泌が増え、イヌも増えているというのは面白いですね。

今回の実験はオキシトシンというホルモンに注目した実験でしたが、永澤さんが普段どんな研究をされているのか教えてください。

大きなテーマとしては、「イヌの社会性」なんですけど、社会性と言っても色々あって、たとえば社会化トレーニングとかもそういう話になるとは思うんですけど、もっと大きく、イヌがなぜ異種である人間とこれほどまでにスムーズにコミュニケーションを取ることができるのか、というところで、それにはイヌが家畜化の過程で身に着けた寛容性というものが影響してるんじゃないかと考えていますが、そういう気質がどんなふうに形作られてきたのかということを見ていきたいと思ってまして。もちろん、今現在のイヌが発達するなかでどんなふうにその寛容性を身につけるのか、というのも合わせて研究しています。

イヌの社会性が他の動物と違うということが顕著に表れているのはどういうところなのでしょうか?普段は身近すぎて分かりづらいところがあるのですが・・・。

実は私も最近までは、他の動物と比べてどうなんだろうというところはピンと来ていなかったのですが、最近オオカミや、オオカミの血が濃く入っているイヌの実験をするようになって、とにかくどこで自分と相手に対して線を引くかという線引きが、イヌはすごく曖昧というか、広いというか。正常に育ったイヌだったら、初対面の相手のことでもすぐに受け入れますよね。でも、オオカミはどんなにヒトに慣れているとしても、飼い主以外は基本的に受け入れないし、触り方一つにしても、自分が望む形でない触り方をされた場合には、徹底的に拒絶する。攻撃的だということではなく、受け付けない。このような点がイヌとは決定的に違う。では、他の家畜と比べるとどうかというと、家畜って扱いやすいとは思うんだけども、やっぱりネコは野生動物に近いかなと思うし、ウマにしても、イヌほどにフレキシブルな部分はないかな、と。P1060721

 

 

 

 

 

何をされても受け入れる、みたいなことですね。それは、「触る」などの物理的なことですか?

それもそうだし、私たちが考えているのは、もうちょっと、こう、よりそのヒトの存在自体を生きていく上で必要としている感がイヌは強いのかな、と。餌をくれるから、とか、そういう意味ではなく、そのヒトがそこにいるっていうこと自体が、イヌにとってはすごく意味のあることなんじゃないのかな、という感覚はすごく持ちますね。

それは、人間のことを母イヌとして見ているというのに近い感覚なんですか?

なかなか難しくて、それはイヌによって違うのかもしれないですね。保護者としてのケースもあるし、仲間としての意味もあるし、逆にイヌ自身が保護者の場合もあるのかな、と。それがまたフレキシブルなのがイヌなのかなぁって(笑)。

対イヌに対してはどうなんですか?

対イヌに対しては、イヌのルールがあるんだろうな、対ヒト、対イヌに対してルールを使い分けているんだろうなと考えています。例えばオオカミは、他の群れのオオカミが自分のテリトリーに侵入してきて、相手が出ていかない場合は、どちらかが死ぬまで戦う。イヌの場合は、一般家庭で飼われているイヌをみている限りでは、そこまでにはならないんじゃないですかね。

では、対イヌに対しても、寛容だということですかね?

wolf-62898_640そうですね、ただ、そこのところはよくわからなくて。寛容性という点ではオオカミのほうが低いとは思うんです。でも、オオカミは致命的な争いを避けるための手段というか儀式みたいなものがちゃんとあるらしいです。だから喧嘩するのは本当に最後の最後の手段。でも、イヌは逆にすぐに喧嘩になるともいわれてますね。これは、品種改良で姿形が変わってしまって、イヌ同士のコミュニケーションスキルが低下したからだと言われてます。ずいぶん昔の実験ですが、オオカミとスタンダードプードルを多頭で一緒に育てるということをやった人がいて。なんと、だいたいドミナント(優位)になるのはスタンダードプードルなんだそうです。発達の段階で、攻撃行動がでるのもスタンダードプードルのほうが早かったらしく。c

 

 

 

では、イヌが獲得したと考えられる寛容さは家畜化=ネオテニー(幼形成熟)の結果というだけではないのですか?

いや、やっぱり家畜化はネオテニーの結果じゃないのか、とは考えられているので、考え方としては一生子供だと言えます。さっきのイヌのほうが喧嘩するという話も、成熟した大人の駆け引きができない結果だと考えることもできるかもしれませんね。

それはウシやブタだって同じことですよね?それでもイヌはウシやブタとは違うのですか?

stockvault-cows132811ウシやブタは経済動物であって、酪農家の方は愛情はあるけど愛着は持たないという話をよく聞きます。愛情を持って育てるんだけど、いずれは出荷するという点でそれ以上引きずらないようにすると。イヌはそこを気にせず、100%の愛情・愛着を持って接することができる、という点で関わり方が決定的に違うんだろうな、と。ウシとかブタは従順であることは求められているわけで、そういう育種が進められたところはあるが、それ以上ヒトとのコミュニケーションを取れるような選択はされてきてはいないと思うので、同じ家畜動物であったとしても、長い歴史の中で、やっぱり人間とのかかわり方はだいぶ変わってくるのではないかと。

なるほど。つまり、イヌが今のイヌになってきているのは、ヒトとの歴史が関係しているということですか?

昔言われていた、オオカミを大事に育てて飼いならした結果イヌになったというイメージではないんですけどね。最新の遺伝子研究の結果から、オオカミからイヌが単純に枝分かれしたわけではないことがわかりました。共通の祖先種がいて、それからオオカミとイヌがそれぞれ分かれてきたそうです。いろんな事情で生態系を共有することになったヒトとイヌになる生き物がうまい具合にスポッとはまったんでしょうね。

つまり、ヒトに近づいて、一緒に生活して、というのは、オオカミではなく、イヌがイヌになってから始まったということなんですよね?

ブライアン・ヘア博士が唱えた「イヌとヒトとの収れん進化仮説」というのがあるんですが、簡単に言えば、何らかの変異で寛容性を身に着けたイヌとヒトが最終的にはコミュニケーションスキルを共有しあって共生できるようになった、というものです。このあたりは断定するのがまだ難しいんですが、恐らく基本的に祖先種やオオカミは怖がりなので、身を隠せるために、森林で生活していたのではないか。開けたとこに姿を現すことはほとんどなかったはずです。しかし、その中の一部の、好奇心旺盛なのか、能天気なのか、子供っぽいのか、そういった個体が草原に出始めた。霊長類も同様に、基本的には森林に住んでいたんですが、人間の祖先は草原に降り始めた。好奇心旺盛で寛容性の高い両者が出会い、共に生活を始めたのではないか。そして、イヌはヒト側が扱いやすいフレンドリーな個体が求められた。そして、ここからはあくまでも仮説なのですが、ヒト側もイヌを扱える人間が残ったのではないか、という説もある。イヌがいないグループは常に猛獣などに襲われる危険性があわけですよね。夜の暗闇も怖くて怖くて仕方ないと思います。イヌがいるグループは、イヌが危険を知らせてくれるのでとても生活が楽になったんじゃないかと。ここからはさらに妄想なんですが(笑)、ヒトは恐怖にさらされると認知能力が低下すると言われています。イヌがいることで、脳を占めていた恐怖による負担が減って、このことで、ゆとりみたいな部分ができ、そこが人間らしさにつながったのではないか、それが文化を作ることにつながったのではないか。人間の大躍進というか、ある時を境に壁画を書いたり、狩猟技術が洗練したり、文化的に大きな変化が生まれるんですが、その境目にイヌの存在があったりしたら面白いなぁ、と笑

P1060716 それはすごく面白い話ですね。人間の歴史・文化が作られてきた中にイヌの存在が欠かせなかったのかもしれない、ということですか。ちなみに、ヒトとイヌが共生するようになったのは、どこで起こったと考えられているのですか?色々な説があるイメージがあるのですが。

そのあたりはまだよくわからないんですよ。イヌの起源はまだ決着がついてなくて、初めはサボライネンという人が、東アジアで恐らくイヌが生まれただろう、という論文を発表したんですが、その後中東説というのが出て、その後でたのがヨーロッパ起源説。ようするに、ユーラシア大陸全部が候補ですね(苦笑)ただ、イヌと共に生活している方が有利だと思われるので、人類の歴史をイヌの飼育との関連で調べたら面白いんじゃないかなって笑。イヌを飼っていない民族は早々に滅亡してた、とか。

なるほど。そんなことが分かってくると面白いですね。
そもそも永澤さんはなぜイヌの社会性について研究しようと思ったのですか?

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